科学に傾向した学者・研究者・論文大好きエビデンス厨をdisる記事

科学的根拠や専門家の権威ある意見を鵜呑みにするのは思考停止であり、現実を見失いがちだ。論文やエビデンスは現実の一部を限定的に検証しただけで、現実と乖離することもある。

博学な学者や研究者は科学知識があるゆえに、現実より科学を優先しがち。科学は現実を再現するのに有用だが、科学に没頭しすぎると現実を直視できなくなる危険性がある。

論文や科学的根拠のみを判断材料にする人。「○○大学の研究では〜」「□□の論文では〜」とか言いがちな情報発信者の”信者”の皆さん。

目次

論文・エビデンスの例

論文やエビデンスというものがみんなが思ってるより役に立たないことを説明するため、仮の論文を紹介します。

ラーメンの体重増加への影響
― 食べると太るのか ―

拉麺 次郎

要約

世間で「ラーメンは太る」というイメージが定着している。「ラーメン=太る」のイメージの真偽を確かめるため実験を行った。複数名の被験者を「A 毎日ラーメンを食べる」「B 毎日こんにゃくラーメンを食べる」の2つのグループにわけ日々の体重変化を記録したところ「AグループはBグルーと比較して体重の増加幅が大きい」という優位な差が見られた。ラーメンは太る食べ物であると結論づけられる。

序論

「ラーメンは太る」という一般的に言われるが「痩せのラーメン好き」もいれば「ラーメンを食べない肥満もいる」。イメージと現実との相違を確かめるため実験を行うことにした。データで示すことにより、ラーメンとの付き合い方を考える判断材料を提供できると考えている。

方法

10代〜40代の被験者男女30名(男16 女14)をAとBの2グループに分ける。それぞれ日中は普段どおりの食生活で過ごしてもらった上で、「Aグループには毎日1食ラーメンを食べる」「Bグループは毎日1食こんにゃくラーメンを食べる」を課した。何ラーメンを食べるか、トッピングの有無等は被験者の自由とする。これを14日間継続し、日々の体重を記録する。

本論結果

Aグループは体重が増えた人もいれば体重が変わらない人もいれば体重が減った人もいた。
Bグループは体重が増えた人もいれば体重が変わらない人もいれば体重が減った人もいた。
実験初日と最終日との体重変化量のグループ平均値を算出すると、Aグループは+0.4kg、Bグループは+0.1kgだった。

結論考察

ラーメンを食べる・食べないによる体重変化への影響は個人差が見られたが、グループ平均を見るとラーメンは体重変化へプラスの影響があると言える。今後はラーメンとカップラーメンの差についても追求したい。

参考文献

ラーメン大好き小泉さん https://amzn.to/3IGczKx

謝辞

美味しいラーメンを作ってくれる全国のラーメン屋さんに感謝

これで「ラーメンは太る」というエビデンスが完成しました。

論文やエビデンスをどう使うか・読み取るか

「ラーメンは太る」というエビデンス(論文)がどう役に立つのか考えてみます。

そもそも、検証実験なんかしなくても ラーメン食ったら太りそうなことは誰でもわかります。それをわざわざ比較実験してデータを出して論文にしています。

では、エビデンスの通りラーメンを食べたら太るのでしょうか?太るのが嫌な人はラーメンを控えたら良いのでしょうか?

答え

ラーメン食べて太らない人もいるし、ラーメン食べずに太る人もいる。

こんなことみんな知ってますよね。

じゃあこの「ラーメンを食べると太る」というエビデンスはなんか意味あるの?って思いませんか。

「ラーメンは太る」という科学的根拠があったとして、 食っても太らない人もいればラーメンを食べなくても他のものを食べて太る人もいるわけです。

エビデンスはみんなが期待してるほど意味がないことがわかっていただけただろうか。

それなのに「ラーメンは太る」というエビデンスがあるから「ラーメンを食べると太るし、ラーメンを食べない痩せる」とか考えちゃう人が多すぎです。

学者や研究者は勉強が出来るせいで現実を見失う

科学なんてものは現実に起こる現象を”部分的に”検証しただけにすぎません。

現実があってそれを検証したのが科学。科学があるから現象が起こるわけではない。

正しい順番
⭕ 現実にある現象→科学
❌ 科学→現実の現象がおこる

学者や研究者など頭が良くて勉強ができる人は、科学知識があるせいで科学ありきで考えるきらいがあります。

例えば「科学的におかしいからありえない」とか現実を否定しちゃったりする。

それは違う。

現実と科学が一致しないのであれば、正しいのは現実。科学が間違ってるか、現実を分析するに至ってないと考えるのが正常。

「現実が先で正しい・科学なんぞ後付け」の例

科学優位に考えすぎて現実をおろそかにすると良くないよ、という理解を進めてもらうために適当に思いついた例をいくつか。

火が燃える条件

現実→火が燃えている
科学→火が燃えるには「可燃物」「酸素」「熱」が必要

これは自然界に存在する火を見て、科学で燃える条件(の一部)を分析しただけ。

それを「可燃物・酸素・熱がないと火はつかないはずだ!」とか言っちゃうのが学者や研究者や論文厨。

科学の知識なんかなくても自然に発火するし、太陽やマグマは燃えてるし、狩猟民族は火をおこせる。

飛行機が飛ぶ仕組み

現実→鳥は空を飛んでいる
科学→翼型に空気(流体)を流すと上面と下面で圧力差ができて揚力が発生する

鳥は翼型とか揚力という知識があって飛んでいるわけではなく、飛んでる鳥をみて鳥が飛べる仕組み(の一部を)分析したのが翼型とか揚力。

エビデンス厨は「そんな翼型だと揚力が発生しないから飛べるはずがない」とか言っちゃう。

トンボやカブトムシは鳥・飛行機のような翼型がなくても飛ぶのが現実。

モテる方法

現実→モテるオスとモテないオスがいる
科学→○○をするオスの方が異性から好印象を得られる

現実的にモテているオスを見て、その様子のごくごく一部を分析したに過ぎない。

科学で解明したモテる方法があったとして、研究室に引きこもってる学者はモテてないでしょう?

小難しいことを考えずに異性との交流経験値が多い人がモテてるでしょう?

現実は「(科学的に)こういう行動をすればモテるはずだ!」とはならない。

まとめ

一般人の間で論文とかエビデンスが人気になった経緯はたぶんこんな感じ。

  1. ネット(ブログ・SNS等)の発達で個人が情報発信できるようになる
  2. 根拠の薄い情報・デマがあふれる
  3. 情報の信頼性が求められる
  4. 論文・エビデンスを元にした情報が人気になる
  5. 身体は闘争を求める
  6. アーマード・コアの新作が出る

科学は事象を再現するために非常に便利で素晴らしいものですが、科学に傾向するあまり現実を見ることをおろそかにするのは良くないなという話でした。

科学知識の使い方を間違えないように生きたいです。

著:メンタリストDaiGo
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